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フリードリヒ1世 (プロイセン王) : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ1世 (プロイセン王)[ふりーどりひ1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

フリードリヒ1世 (プロイセン王) : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ1世 (プロイセン王)[ふりーどりひ1せい]

フリードリヒ1世Friedrich I., 1657年7月11日 - 1713年2月25日)は、初代の「プロイセンにおける王」。はじめはプロイセン(在位:1688年5月9日 - 1701年1月17日)、またブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世、在位:1688年5月9日 - 1713年2月25日)。
「猫背フリッツ」とあだ名される風采の上がらない小男で、フランスルイ14世にあこがれるような虚栄心の強い浪費家だったが、妻の影響もあって学芸を振興させ、プロイセンの王となった。
== 生涯 ==

===生い立ち===
フリードリヒ1世は1657年7月11日、ケーニヒスベルクフリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯と妃ルイーゼ・ヘンリエッテオランダ総督オラニエ公フレデリック・ヘンドリックの娘)との間に生まれた。オランダ総督兼イングランドウィリアム3世は母方の従兄に当たる。
フリードリヒ1世はシュヴェリーン伯(後にヴェストファーレン伯)エーバーハルト・フォン・ダンケルマンに教育を受け、1674年12月7日に兄カール・エミールが死去した後は選帝侯位の継承者となった。1679年ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム6世の娘で従妹に当たるエリーザベト・ヘンリエッテと結婚し、翌1680年ルイーゼ・ドロテーアをもうけたが、エリーザベト・ヘンリエッテは3年後の1683年に亡くなった。
1684年にブラウンシュヴァイク=ハノーファー公女ゾフィー・シャルロッテハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストの娘)と再婚し、1688年には後のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世が生まれている。ゾフィー・シャルロッテはフランス語が巧みな知性あふれる女性で、彼女のサロンには一流の芸術家や学者が集ったためベルリンの知識階級は大いに活発になった。多情だったフリードリヒ1世とも夫婦仲は良く、彼の文教政策は彼女の影響を強く受けている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリードリヒ1世 (プロイセン王)」の詳細全文を読む




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